平間至 × ATSUSHI (Dragon Ash / POWER of LIFE) 対談 <2013>

お客さんもスタッフも笑顔に
みんなの居場所にもなったガマロック

想像をはるかに超えてあったかい雰囲気だった

———2012年にガマロックを初めて開催しました。それ以前からの塩竈との関わりも含めてどんな想いでいましたか。

平間:ガマロックの前に、2011年4月17日の塩竈でのフリーライブの経験があったわけだけど、震災後のああいう状況の中でライブをやることが初めてで、手探りの状態だった。でも、何もかも初めての中で、みんなの気持ちがひとつになった。たまたまPAがなかったから、観客全員で演者のまわりを丸く囲んで聴いて……。みんなの心がひとつになったっていうことがいちばん感じたことかな。本当に不安しかなかったと思うんだ、あのときって。その不安の中でちょっとだけ安心できたりちょっとだけ希望のようなものが灯されたんじゃないかなと。

———ガマロックが1日でもいいからみんなの居場所になればいいなと平間さんは開催前に言っていましたが、開催してみてどう感じましたか。

平間:震災で、たくさんの命と居場所が失われたことが俺にとって悲しいことだった。で、自分に今からできることっていうのは、1日だけでもみんなが安心して笑顔でいられるような場所を作ることじゃないかと思った。そういう居場所ができれば、その1日の思い出をもって、多少つらいことがあっても生きていくことができるんじゃないかなっていう想いでガマロックをやったんだけど、実際に開場してみて思ったのは、自分の想像していたものをはるかに超えてとってもあったかい雰囲気だった。それが自分でやっていて自分がいちばん驚いたこと。でもそれはやっぱりやる側がそういう想いをもって、スタッフみんなでやれたからそういう場を作れてお客さんにも伝わったんじゃないかなと。

———ATSUSHIさんは普段は演者ですが、こうやってガマロックをやってみて、どう感じましたか。

ATSUSHI:踊り手ですが、振り付けとかもするのでものごとを客観的にみるようにしているんです。俯瞰的にみるじゃないですけど。わかりやすく言うとサッカーの試合を上からカメラ撮って観ているような。そういう目で主催者としてやっていたと思います。一方でステージに立っていたときには、そういう視点ではまったくなかったですね。でもそういうことより、心のやすらぐ場所、みんなが笑顔になれる場所を作りたくて4月17日にもライブをやったし、それがフェスということに繋がって“ガマロック”っていうみんなに分かりやすいひとつのキーワードがつくれたっていうのはいちばんでかいと思っているし、それを1回目でみんなに浸透させることができたということがとてもうれしい。主催者、演者としてというよりはそっちの気持ちの方がでかいかなと。避難所とか仮設商店街とかでやってきましたが、それは不定期なもので、ガマロックフェスというものが年に1回、夏の終わりから秋の始まりぐらいのときにあるっていう定期的なものを作れてうれしいなって思う。

平間:ATUSHIと俺は基本的に表現する側だよね。そこにGIPのカツこと佐藤勝好がふたりと同じ立場でいてくれたっていうことがすごく大きくて。カツとは震災直後、3月22日に宮城県に来たとき、初めて会ったんだけど……。

ATSUSHI:カツは知り合いのアーティストの担当で、俺はカツと同い年。すぐに意見が合って、なんかやっていけたらいいねってなって、それで4月17日のライブも手伝ってもらった。で、そのとき、想いをちゃんとひとつにしてやったから、今度もカツに振っても絶対大丈夫だろうって思ったんです。

平間:例えば定期的にやることだったりとか、ある程度システムとしてちゃんとまわせることだったりとか。それまではちゃんと収支のことなんかも考えてなくて、本当に気持ちと勢いだけで一年半ぐらい動いてきて、本当にいいタイミングでカツと出会った。カツがやっぱりイベンターとしてのプロなので、ふたりの想いをちゃんと安定した形にしてくれたっていうのはとても大きいと思うな。

ATSUSHI:表面的には俺と平間さんの二者でやっているような見え方なんだけど、カツが二者の後ろでバックアップしている、つまり三者並列の図式がきれいにできていたから、うまくいった。もしカツが4月17日のライブにいなかったら、こうはなっていなかったと思う。

平間:それまでは、炊き出しでアーティストにはずーっとボランティアで来てもらっていたけど、ガマロックは今後も続けていきたかったので、そのためにはチケット代をいただいて、最低限ミュージシャンに出演料を出したかった。でもチケットが最初は売れなくて、そのときにカツと会う機会があって。彼はイベンターとしてプロだから俺より見えていた部分があると思うんだけど、「絶対に僕が赤字にはさせませんから」ってキッパリ。まったくチケットが売れていないのに、言ってくれたのね。それが本当にうれしかったし、ATSUSHIとか俺とかと同じポジションで一緒にガマロックを考えてくれているんだっていうのがそのときに伝わってきたんだよね。

ATSUSHI:まあ、表現者ふたりがフェスやるって言ってもそれだけなら、ダメだよね(笑)。たぶん。ダメというか、たぶんちょっと違う形にはなっていたはず。こんなふうに実現できていたかわからないよね。イベントという形として成り立ったのは、カツの力がでかい。

———カツさんと話していたんですけど、スタッフ全員が純粋な気持ちでやっていたからあんなにいいフェスになったって言っていて。私もそう感じましたし、その純粋な気持ちが観客に伝わったのかなと。

平間:「鏡の法則」っていって、撮られている人が笑顔だったら、間違いなく撮っている人も笑顔なんだっていうことを、よく写真の話をするときに持ち出すんだけど、つまり自分が笑顔になれば被写体も笑顔になる。フェスもまったく同じで、やる側もそういう気持ちだと、来たお客さんも当然そういう気持ちになるっていうことなんじゃないかな。

ATSUSHI:そう思います。

———そしてたくさんのスタッフがいたと思うんですけど、ふたりのいろんな出会いがガマロックに集結しているような気がします。

ATSUSHI:いい機会だったと思いますよ。それまではそういう機会がなかった。力が集まり始めていたけど、それをひとつにする場所がなかったから、それがつくれたのもでかい。

平間:それと、塩竈の若い人たちにとっても、いいきっかけになったと思う。自分の町のためになにかしたいという30代前後の人たちがガマロックで出会って、さらにどうしようか考えるきっかけになったと思う。それもよかった。なかでも小島蒲鉾の高橋英良くんは俺にとって大きな存在で、ガマロックでは飲食の部分をほぼ任せきった。それで飲食店の出店に当たっての保健所対応とかも全部やってくれて。たくさんスタッフはいるけど、自分にとって信頼できる人が地元にできたのは大きいかな。それでたぶん高橋君やみんなもガマロックを通して成長している部分があるし、ちゃんと自分たちに与えられた責任を必死でこなしてくれたっていう。

ATSUSHI:僕と平間さんが毎日のように塩竈に居られるわけではないので、現地に居る若手が率先して動いてくれている役割分担も相当でかいと思いますよ。

———活発になっていますもんね、交流も。

ATSUSHI:今後もそういう場所になっていったらうれしいな。それは最低限必須で、みんなの基地じゃないけど、一年に一回、心が安らいでみんなが集まる場所みたいな。それはずっと続けていきたいなと。それからいろんなことが連鎖して起きていってくれればうれしいし。

ガマロックの延長線上にみんなが集結してくれてうれしかった

———「連鎖する」という言葉が出てきましたが、ガマロック後のイブのイベントだったり2013年3月11日の塩竈でのイベントだったり、場所を変えてなおかつ人も変わったりしていますけど、地続きのような気がします。どんなふうにふくらんでいますか。

ATSUSHI:うん、ガマロックから続いていると思います。どういうふうにか……あんまり計算していないんですよね。

———計算していないんですか?! こうしようっていうのが先にあるのではなく、これをやりたいっていうのが先にあるんですか。

ATSUSHI:うん。せっかくこうやってみんなとやっているんだから、どんどんやりたいと思うだけで、別に計算してなくて。あとは俺ひとりの力でやっているわけではないし。そういうふうにみんなが協力してくれて、感謝しています。ガマロックの延長線上にああやってみんなとできて、それが12月24日の六本木ヒルズというわかりやすい所に集まって、メリークリスマスっていうことが俺はうれしかったなーと思います。すごく。あれこそものごとが始まったのは11月中旬から。みんなに連絡して、1カ月で準備。でもガマロックでやっているし、感覚はわかっているから。「まぁ、ATSUSHIが言うんだったら」ってこともあったと思うんですが、ガマロックをやっていなかったらあれはできていないんじゃないですか。

平間:ATSUSHIの魅力は計算しないこと。

一同:(笑)

———共演者から無茶振りがあるとかうかがっていましたけど(笑)、そういう計算なしだからこそ、その場その場でのエネルギーが生まれると思いますね。

ATSUSHI:そのほうがおもしろいと思うんだよね。みんなの本性も出てくるし、あと、俺から強制するのが嫌だから。みんなに自由にやってもらいたいのもあるから、計算してないっていうのもあるかもしれないし、自分が「ああやって、こうやって」と指示されるのは嫌だから。だったらみんなに自由にやってもらいたいし、計算してその通りだったらあんまりおもしろくないんじゃないかって。計算とは違うことが起こったらみんな対応できないと思うんだよね。やっててそっちのほうが表現としては健全かなと自分は思っている。

平間:だから、一人ひとりの力量が問われるよね。

ATSUSHI:かなり問われてくるっていう(笑)。

平間:場慣れしていない人はたぶん難しいんじゃない、きっと。

ATSUSHI:でもみんなそれなりにやってきている方々なのでね。こう、表現者だったらもちろん写真や踊りもそうですけど、ぐちぐち説明するよりは、もう表現で会話したほうが話は早いので。だからそういうふうにしています。

———イブのライブで、最後に出演者が勢揃いした演奏もすごかったですね。

ATSUSHI:平間さんが太鼓を叩いてね。

平間:そう、腹太鼓でね(笑)。

(ガマロックに出演したアーティストのうち、遠征してきたアーティストもいますが、やっぱり地元でやるのと東京でやるのでは違うと思うので、それもよかったですよね)

平間:特にガマロックにも出演したBRIGHT KIDS(多賀城小学校)にとって最高の場だったと思うよ。あれは。だってね、小学生でさ、いきなり六本木ヒルズでのライブには出られないよ(笑)。

ATSUSHI:中村達也とツインドラム。ありえないよ。

一同:(笑)

ATSUSHI:頑張ればどうにかなるんだってことをわかってもらいたかったこともある。BRIGHT KIDSももちろんガマロックでも頑張っていたし、今後も、頑張ればどうにかなるんだっていうことをわかってほしかった。帰りの新幹線では相当興奮していたみたいですけどね。「夢のようだ……」って。

平間:ガンバロック。ガマロックでガンバロック!

一同:(笑)

ATSUSHI:ガマロックでのあの雰囲気を、東京の六本木ヒルズっていうところでみんなに示したかったこともちょっとあるとは思います。やっぱり。みんなよく集結してくれましたよね、いやぁ、暇人が多いなと思いますね(笑)。イブなのに、みんな何やっているんだ……ってね。

平間:確かにそう考えられるよね、デートはどうなんだとかね(笑)。いやいや、みんなATSUSHIのためにね。

ATSUSHI:大感謝ですよ。

———そうそう、塩竈からも来てくれて人たちもいましたしね。あ、お久しぶりです、なんていう人もたくさんいたので。

ATSUSHI:そうだね、それもうれしかった。ガマロックと基本的な考え方は変わらないですよね。みんなの集う場所になればいいと。

平間:あとね、六本木の楽屋に塩竈の小島蒲鉾が山のようにあったのがうれしかった。

———美味しかったですね! 2013年3月11日のライブでは、塩釜高校のブラスバンドも参加して、大所帯になってきていますね。ほほえましいというか。

平間:そう六本木ヒルズでも「ほほえましい」という言葉がピッタリだったかもしれない。うん。その感じがいいんですよ。BRIGHT KIDSの演奏をプロのミュージシャン達が目を細めて見ている感じがよかった。

ATSUSHI:あのステージの雰囲気とかも本当によかった。全員大集合で。

———最後にバラの花が配られてお客さんもすごくうれしそうな顔をしていました。

ATSUSHI:用意しましたね〜。2日前にバラの花を1000本。なかなか大変でしたけど、みなさんが協力して用意してくれて。ちょっとお金はかかりますけど……。

平間:バラの花を栽培していたほうがいいよね。

———毎回、パワーオブライフのライブではバラの花を用意しているんですもんね。

ATSUSHI:バラ園作ろうかな……。

平間:もっと安い花にしたほうがいいんじゃない?かすみ草とか。

一同:(笑)

ATSUSHI:花の話といえば、2011年の敬老の日かな、塩竈のガス体育館でイベントがあって、そのときも踊って花を用意したんですよ。赤と黄色と白と。年配の方が多い中で、こぞってまず赤の花を持っていくんだよね。何本かもらう人もいたんだけど、「一本限りね!」って言って(笑)。

———活動している場で、世代を選ばないですよね。ガマロックもそうでしたけど、子どもから年配の方もいらっしゃったり。ツイッターでは「三世代で行きます!」とかありましたし

平間:そうだよね、子どもからお年寄りまで。すごくうれしかったよね。あとね、ガマロックでは小学生以下は無料だってことは伝わっていなかったみたいで、あとから知ったという人もいたみたい。今年は70歳以上が無料に。小学生以下と70歳以上は無料となります。

ATSUSHI:フェスで、親子三代で来られて動物もいるってフェスはないです!

観客、アーティスト、スタッフの垣根を越え
全員参加型のガマロック

塩竈の魅力、音楽への想い、お互いのやっていることのバランスがよかった

平間:そう、ガマロックで出展した犬や猫たちの孤児院「日本アニマルトラスト」を通して、里親を募集していたクロミツ、コミツまでうちに来て。ビックリだよね。娘が犬をほしいって言っていて、最初は柏のアニマルシェルターに行ったんだけど、なんだかピンとこなくて。それで大阪府豊能郡の山の中にある日本アニマルトラストの「ハッピーハウス」に連絡して、引き取ったら妻がメロメロ。犬も妻にメロメロ。ATSUSHIもその相思相愛っぷりにビックリ。すごいよね。

ATSUSHI:俺としてはすごくうれしいですね。例えば「平間さんちに」というほどの計算はしていなかったけど、参加してもうらことによって何かしらの出会いがあって、どこかでこうなったらいいなって思ってた。だから、結果論としてこうなってくれてめちゃめちゃうれしいです。

平間:計算はできないからね(笑)。

ATSUSHI:したくてもできないからね(笑)。

平間:あと、しおがま文化大使の畑中みゆきさんは60kgぐらいの大きい犬「マスティフ」を引き取ったんだけど、みゆきさんは引き取るに当たって「一番飼いづらい犬をちょうだい」って言ったらしいんだよね。さすがだなって。

ATSUSHI:平間さんちに行った2匹は今後、看板犬になるんじゃないですか。その犬たちももしかしたら役割のひとつだったかもしれない。さまざまな理由で保護された動物たちがたくさんいるんだってこととか、捨てられたペットたちが殺処分されている現状とか。もっと世の中の人たちが知れば命も救われるだろうし、出会いも増えるんじゃないかな。

平間:「ハッピーハウス」に行ったら、700〜800ほどの保護された犬と猫がいて。本当にきれいですごく環境がいい。ビックリするぐらい。でも保護されて入ってくる数と引き取られて出て行ける数を考えると、なかなか難しいだろうなって思って。

ATSUSHI:日本じゃなかなか経営とかが難しいし、そういうことも知ってもらえたらって思う。知ってもらうことによってどんどん状況が変わっていけばいいな。平間さんに引き取られた2匹が何かのきっかけになってくれたらうれしいですね。

平間:震災直後、いろんな人から連絡をもらって、ATSUSHIと塩竈へ行こうと思ったのは、ATSUSHIがそういう活動を震災前からやっていたことが大きいかな。動物を含めた「命の大切さ」を自分の責任をもって活動するATSUSHIとだったら、自分だけで地元に戻るよりも広がりがあるんじゃないかなって何となく思って。それが結果としてガマロックになっていった。

———初めてのガマロックを開催するにあたって、塩竈市が後援として協力してもらえたこともよかったですよね。

平間:うん、塩竈市が全面協力をしてくれたことがすごく大きい。公園の使用から、ゴミの処理までを全部やってくれたりとか。さまざまな気配りをもって市がやってくれたことは大きいかな。

ATSUSHI:楽屋で市役所の阿部徳和さんが終わった後にゴミ拾いをすごくしていて、ちょっとグッときましたね。

平間:そうそう、冗談みたいな話だろうけど「ゴミは全て任せろ!」というぐらい。

ATSUSHI:周りの家に挨拶に行ってくれていたりとか。

平間:公表する前から近所の住民に何回も挨拶に行ってて。最初の段階ですごく喜んでいてくれていたみたいだけど、イベントをやるにあたって住民とこじれちゃうと大変じゃない。そして、これだけ大きい野外イベントをやって、市としてもGIPとしても、苦情が1件もなかったのは初めてだったと。でも塩竈湾を挟んだ東塩釜駅近くの藤倉周辺まで音が聞こえていたらしくて。

ATSUSHI:HOUND DOGのときにね。

平間:それまではなんとなくお祭り騒ぎのような音が伝わっていたみたいだけど、HOUND DOGのときは歌詞まで聞こえたって(笑)。アコギを弾いているのに、エレキみたいな音だったと聞いて、「あれぇ?アコギだったはずだけど!」って(笑)。

ATSUSHI:それで苦情が来なかったんですから、本当に感謝ですよね。市も含めて、みんなの役割分担が本当にきれいにはまったんじゃないですか。

平間:各々の立場で本当にやりきったということだと思うんだよね。ガマロックは。

———そういえば、あの会場を選んだのはなにか計算があったんですか。フェスのイメージって、だだっ広いのがまずあったのですが。親密感を大切にするっていうことも含めて、あの会場にしたんですか。

ATSUSHI:あの会場になったのは塩竈市役所の人の推薦で。違う会場でやろうとしていましたけど、あの会場になったのもよかった。計算はしていないですけど、画は見えていました。見えてなければやらない。ガマロックも六本木ヒルズのときもそうだけど、最終的な画はこうなるだろうっていうのが見えて、それをみんなで作っていく。物理的なイメージというよりも、お客さんの感じ方としてのイメージです。

———平間さんが描いていた画とはなんですか。

平間:やっぱりみんなの笑顔かな。笑顔のイメージが強かった。うん。

ATSUSHI:よかったですよね。みんなが笑顔で。笑顔だったから一日が早かった。

———オブジェクトなどのアートやワークショップも盛りだくさんで、たくさんの人たちが楽しんでいましたね。

平間:塩竈には美味しい食べ物がある。アートも盛ん。「塩竈フォトフェスティバル」を以前からやっていたりと……。ロックフェスといいながらも、食とアートで楽しめるほうがいいよねって自覚しながらバランスをとっていったところはあるよね。半分は飲食、半分はワークショップやアートがあったりとか。あとは出店の話でいえば、安くてすごく美味しかったって言われて、それがすごくうれしかったかな。楽屋でも、出演者のみんなから美味しいと言ってもらえたりとか。

ATSUSHI:バランスはかなり気にしてやっていましたよね。

平間:もし音楽寄りの構成だったら音楽が全面に出ていたんだろうけど。でも、やっぱり音楽はATSUSHIと俺にとって中心にあって、音楽なしではATSUSHIは踊れないと思うし。俺は、音楽は純粋に好きで、写真は自分自身。いろんな要素があるなかで塩竈の魅力、音楽への想い、お互いのやっていることのバランスがよかったんだと思う。

ATSUSHI:あのバランスなら全員参加型になれますよね。他のフェスだったら、音楽に付属されて飲食ブースがあったりとか。ガマロックはそうではないので。全員参加型ならみんなの気持ちは高まるし、スタッフのやりがいも出てくるし、塩竈らしさが出てくる。

———郷土色が豊かで、そこに塩竈が感じられました。

平間:そうそう。

ATSUSHI:楽屋も雰囲気よかったですよ。

平間:すごくうれしかったのは、出演したmitoくんが言ってくれたことなんだけど、「俺らはいろんなフェスに行っているから、楽屋の雰囲気だけでフェス全体がいいかどうかが一瞬で分かっちゃうんだよね」って。まあ、それはすごくガマロックの雰囲気がいいっていうことなんだけど(照)。それが一瞬で伝わってきたっていうことを言われてすごくうれしかった。

ATSUSHI:本当にそうなんですよ。楽屋の雰囲気がステージにすごく出るんですよ。いいフェスでは、最後までみんな帰らないですよね。

平間:客席側に行かないミュージシャンも多いよね、きっと。行く人もいるだろうけど。そういうことを考えると、滞在時間のほとんどが楽屋とステージ。

ATSUSHI:であれば、楽屋の雰囲気はそのまんま出ますね。

平間:でもそのmitoくんは楽屋を抜けて市内の亀喜寿司に行ったっていう……(笑)。あれ、mitoくんいない! 実は亀喜寿司に行ったと。「楽屋最高!」って言いながら亀喜寿司(笑)。以前、mitoくんが組んでいるクラムボンのボーカル・原田郁子ちゃんをそこに2回ほど誘ったことがあって、美味しいっていうことをmitoくんも知って、絶対行かなきゃって思っていたらしくて。

ATSUSHI:みんながマイペースに楽しんでくれてよかったと思いますよね(笑)。

平間:打ち上げもね、本当によくて……俺にとって一番うれしかったのは打ち上げかも。出演者と地元スタッフとの垣根がなかったじゃん。だって、東京の打ち上げではあんなになじまないよ。

ATSUSHI:あれもガマロックの良さだったんじゃないですか。

平間:最後の〆の言葉でmitoくんがグダグダで(笑)。グダグダになったのを細美君がビシッと締めたっていう。あれはどちらも見事(笑)。なんだかガマロックらしい瞬間だったと思う。

ATSUSHI:あれも大切にしていきたいですね(笑)。

震災直後にやったライブのときの初心を忘れずに

———1年目にしてたくさんのうれしい声をもらいました。期待している人もたくさんいるんじゃないかなって思うんですけど、今年の抱負や構想を教えてください。

ATSUSHI:初心を忘れずにと思っております。

平間:うまくいったのでその分気持ちをブラさず初心を忘れずに。初心はやっぱり第一回ガマロックではなくて、震災後にやったライブなんだと思う。フェスの規模になると大人数の人が関わるから、どこかでブレていったりすることがあると思うんだけど。それでもATSUSHIとカツとのバランスがすごく絶妙で、どこかでブレたりすると誰かが軌道修正してくれたりとか、絶妙に3人が補間し合っている。

ATSUSHI:3人というのはでかいんですよ。役割も違うし、考え方も違うし。そのなかでブレないようにやっていきたいと思いますね。そしてなるようにしかならないっす。結局、頑張るしかないねと。余計に考えたり計算してもしょうがないし。2、3、4回目も謙虚に頑張って、ブレずにやっていけばなにか味方をしてくれるのかなーと思ったりする。これが調子に乗り始めたら……怒られると思うし、そうはならずにやっていこうと。

平間:昨年は天気も味方してくれて。当日の朝まで雨が降っていて、翌日も土砂降りだったんだけど、もともと天気だけは根拠のない自信があって、みんなから「大丈夫ですか」と言われても、「大丈夫、大丈夫。普段も晴れ男だから」って言っていました。でもガマロックの翌日になってから焦って「雨だったらどうしたんだろう!」って(笑)。

ATSUSHI:いつかは雨が降る可能性もありますからね。まぁ、それも受け入れてやっていけるのがいいのかなぁと。

平間:フジロックなどもそうだけど、フェスがしっかりすると雨が降っても揺らがないと思う。

ATSUSHI:そのためには俺らがブレないようにやっていきたいとは思いますよね。軸がブレるとみんなもブレていくと思うので。グラッグラにならないようにしたいなとは思っているかな。

———そういえば昨年人気だったタワレコとコラボのガマロックポスターは今年もやるんですか。

平間:今年もやります!

ATSUSHI:あれとかも、10年続けていったとして……例えば昨年はカップルで撮った人が今年は子どもがひとり居て、翌年はまた増えてとか……。もちろん友だちとでもいいんですけど、ポスターを並べて家に貼ってもらえたらうれしい。

平間:……そしたら相当壁が必要だよね(笑)。

一同:(爆笑)

ATSUSHI:部屋中がガマロックのポスターだらけとなってしまいますけれども(笑)、そういうようになってくれればいいなと思いますよね。あのポスターも。それこそ最後に撮った出演者との一枚、まだ平間さんは心配顔でしたけれども、いいポスターでしたね。

平間:あれもね、ガマロックを象徴している感じだよね。

ATSUSHI:なかなかないですよね。一枚のポスターで全部が伝わるっていうのは。空気を含めて。だからすごいと思いました。

平間:楽屋で撮ったあの一枚に写っているメンバーが最後の最後まで残っていたんだもんね。いいフェスは楽屋滞在時間が長いというし、それが写真に表れたってことなんだね。

———さて、今年は塩竈フォトフェスティバルもありますよね。

平間:フォトフェスは9月13〜23日。ガマロックは22日なので、フォトフェスの期間中にガマロックがあって、ガマロックを観に来た人が翌日、フォトフェスとかワークショップに参加できる感じにしたい。2つのイベントスケジュールが重なることで自分は大変になるんだけど、遠くから来たお客さんのことを考えたらね。あと、2つのイベントを同時期にやることで「塩竈は頑張っているな」とか「発信しているんだ」とか周りの町や宮城県に伝わったらうれしいかな。まぁ、常に自分のことは置いといてと思っていたんだけれども、体調がもう危ない(笑)。自分のことを置いておけないことに気付いて。「俺が頑張ればいいか」と思って、身体のことは今まで考えずに生きてきたんだけど、そういうわけにはいかないんだと。

ATSUSHI:これだけチームメイトがいればね、無理せずに役割分担で平間さんが1人でやることとみんなでやることが分担できるので、無理せずにやってください。

平間:最後のスピーチはATSUSHIに任せてね(笑)。

ATSUSHI:頑張ります、頑張ります!参加してくれるみんなには、十人十色、それぞれの塩竈を感じていただければうれしいなと思いますね。今年は塩竈に拠点がつくれているので、その周辺の多賀城、七ヶ浜、松島、利府とかともなにか一緒にできるようなところを探していこうかなと。ガマロックを通して、何かみんなと一緒にできることを。

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