平間至 × ATSUSHI (Dragon Ash / POWER of LIFE) 対談 <2014>
———ガマロックは震災後の2011年4月17日、塩竈市のロイヤル・ホームセンターでやった炊き出しとライブが原点となり始まりましたよね。
平間:もっと詳しく言うと、3月29日に福島県いわき市で最初の炊き出しを行ったんだよね。震災から2週間以上経っていて、ほとんど菓子パンしか食べていないから野菜を食べたいといわきのアリオスの人から連絡があって。そこでうつみようこうさんが来てくれて、ATSUSHIも踊ったんだよね。その次が4月16日にいわきのバロウズでライブをやって。そのときが初めて外でやったんだよね。移動中には高速で震度5ぐらいの地震があって、通行止めになって全部の車が降ろされた後、みんなで下道を走ってご飯を食べていたら通行止めが解除になって。風が異様に強かった。
ATSUSHI:そして4月17日には風が止んで。でも寒かったよね。
平間:びっくりするぐらい寒かった。
ATSUSHI:塩竈市役所が協力してくれて、イベンターのGIPも来てくれて、大友康平さん、KIYOSAKU、Caravan、インディーズ電力、中田裕二くん、佐藤タイジくん、キャンドル・ジュンくんたちとあの一日を作ったっていうのがでかいし、やったことがずーっとね、生きる糧になったようだから。
平間:それはガマロック0回目だよね。
ATSUSHI:そうですね。で、支援活動をやっていくうちに「あれをもう一度」と思ってやったのがガマロックだった。ガマロックの構想は震災以前からあったわけで。
平間:塩竈に入ったのが3月22日。そのときに塩竈市尾島町にあるレゲエバーで一緒に飲みながらライブとか炊き出しとかできないかと、ふと思いついて。それが4月17日に実現した。
ATSUSHI:話は前後するけど、俺は3月16日にKIYOSAKUと渋谷クアトロでライブをやっていて。そのときに自粛ムードがあっても「これはやるべきことなんだ」って思った。
平間:その時期は電気を使っちゃいけないから東京が暗くて、ライブをやれる雰囲気ではなかったよね。
ATSUSHI:そして東北の沿岸へ22〜25日に行ったんですよね。パンを1個ずつ持って現地の人たちと話をして、これはタイミングを見てライブをやるべきかもしれないと。役割分担的には俺は旗振り役だから、こうなってきているんだと思うけど。それが形になって続けられてきていることがうれしいなって。ガマロック0回目とも言える4月17日のライブがそれぞれの心の中に残っているみたいですからね。
平間:それを継続していくために、ちゃんとしたフェスにしたのがガマロック。ロウソクの光と生の声での演奏から始まって、ガマロックという形になっても気持ちの上では何も変わっていない。
ATSUSHI:なにも変わっていないですね。あの気持ちを、あの場に居なかった人でも、ガマロックに来たときに「あの感じって、4月17日のような感じなんだろうな」ってわかってくれるのがうれしい。
平間:会場があの感じがするし、みんなの気持ちが集まっていたよね。一つになったというか、輪になったというか。
ATSUSHI:そこが重要な所なんですよね。その想いが。今年の3月11日のPOWER of LIFEでもかなりその空気でしたね。すごくあの日に近かったですよね。みんなで円形ステージを作ったのが大きくて、きれいな円形になった。みんなで秀ちゃんラーメン食べてさ。ガマロックチームと秀ちゃんラーメンチームはすごいですよね。
平間:本当にみんなのそういう想いに支えられているよね。
ATSUSHI:うん。感謝、感謝でございます。
平間:なんかこう、気持ちが集まっちゃんだよね。塩竈には。
ATSUSHI:なんか、不思議ですよね。
平間:一度来ると、みんなね、塩竈に気持ちが寄せられる。……例えば僕の友だちは数えられないぐらい塩竈に来ていたり。
ATSUSHI:もうね、俺が言うのもなんだけど、たくさんの人がさまざまな機会に集まってくると、誰が現地の人で誰がそうじゃないかってわからない(笑)。本当にいいことだなって思います。
平間:今でも仮設住宅での炊き出しを和田アキ子さんに支援をいただいて春と秋に2回ずつやっているんだけど、それもいつもガマロックに関わっている人たちが気持ちよく手伝いに来てくれたりとか。なんか、塩竈に来る理由をみんな探しにきている感じ。その筆頭がATSUSHIだ(笑)。「塩竈に来る理由を探す会」の会長だ(笑)。
ATSUSHI:名誉会長になりたいです(笑)。
平間:それだけきっと魅力がある証拠。塩竈が大嫌いで東京に出てきたんだけど、東京がすごく物足りなくて。それで、塩竈は実はおもしろいかもと思って塩竈の人を撮った写真集が『よろしく』で。形にすることで塩竈の魅力がもっとみんなに伝わるんじゃないかと思ってね。で、その後に写真展をやったり塩竈フォトフェスティバルをやったりして、ガマロックが自分のなかでの集大成だよね。
———2013年の塩竈フォトフェスティバルで、審査員の方が最後に「塩竈でやるからには大都市みたいに流行的な消費されるものではなく、写真家としての将来性などを育むこと」というようなことを述べていたので、塩竈はそういう場所でもあるのかなと。
平間:ただの地方ではなく、独自な文化をこれからさらに築いていきたい。魅力があることは間違いないので。
ATSUSHI:鹽竈(しおがま)神社があって、浦戸諸島があって……
平間:やっぱり神社があるっていうのは大きいのだろうね。改めてさ、ATSUSHIにとっての塩竈の魅力って何?
ATSUSHI:あー、出た(笑)。
———あー、前から何度も聞いていますが、これだ!っていう答えを聞いていないですものね(笑)。
平間:聞きたいね。半分以上、塩竈の人だからね。
ATSUSHI:なんだろうなー。
平間:なんでそんなに塩竈に来るの(笑)?
一同:笑
ATSUSHI:なんででしょうね〜。うーん、なんなんだろう。……探してみようかな、もうちょっと(笑)。うん、濃いし、自然も多いし、人もあったかいし。
平間:うん、人がおもしろいよね。いわゆる「普通の人」がいない街かなって思うところがあって、みんな濃すぎるっていう。チープ・パープル(塩竈市立第三中学校卒業生によるDEEP PURPLEの完コピバンド)のメンバーがいた街だからね(笑)。大先輩に大友康平さんがいて、本当に濃いよね。
ATSUSHI:トータル的に見て、それが「ガマっぽい」って言えるかな。なんか(笑)。
一同:笑
ATSUSHI:踊り手として、塩竈・七ヶ浜は「踊るべき場所」というのは大きいですけどね。正直に言うと……。
平間:特に踊りはいちいち言葉にして踊るわけではないから、きっと言葉にならない何かを感じながら踊るわけだよね、きっと。
ATSUSHI:そうですね。それは毎回敏感に感じていたいです。
平間:言葉にならない街、塩竈。
ATSUSHI:それがいいですね、「言葉にならない街、塩竈」。「やさしおがま」という言葉もだいぶ浸透したんじゃないかな。
平間:「おいしおがま」、「やさしおがま」。そして「言葉にならない街、塩竈」。まあね、だから一度騙されたと思って来てくださいと。一回ガマロックに来てみて、翌日は塩竈でお鮨食べたり、遊覧船に乗って松島に行ってみたり、鹽竈神社に行ってみたり。
———そうですねぇ。いろいろ歩いているとたくさんの発見がありますし。おもしろいんですよね。歌枕の地でもありますし。
平間:そうだね。自分の話が前後しちゃうけど、生涯学習施設のふれあいエスプ塩竈に、戦後の漫画誌に多大な影響を与えた『月刊漫画ガロ』を創刊した長井勝一さんという大先輩の漫画美術館があるのはすごいなと思って。自分が写真で発表できる場が何もなかったので、エスプができて、長井勝一漫画美術館ができて……。じゃあ、俺も何かできるかなと思って。だから、長井さんの力は大きいかな。
ATSUSHI:いい話ですね。だから、だいぶできているんじゃないですか。そういう土台が。
———やっぱり場ができるっていうのは大きいですよね。
ATSUSHI:うん、場を作るというのは大きい。作ろうと思ってもなかなか一人で作れないし……場のもつ力というのは大きいですね。
平間:まさか、長井勝一美術館ができたことによって、ガマロックになっていくなんておもしろいよね。
ATSUSHI:塩竈はそんなに広い街ではないのに、そういう場所がたくさんある。それが塩竈の役割の一つかもしれないし。塩竈だから震災後の活動の拠点にできている。そしてみんなが集まる場所で、福島や岩手から、そして日本中からみんなが集まって一同に会してほっこりできるっていいよね。で、またねーって言って、塩竈の人たちもそれぞれ違う地域に行って。ガマロックをきっかけにどんどん人が繋がっていけるとうれしいなと思うよね。
———そうですね。新潟の新発田との縁もありますしね。
平間:そうだね。2013年は新発田からバスをチャーターしてガマロックに来てくれた。そして最近新発田との文化交流があったりと。
ATSUSHI:お互いが行き来するような、きっかけの場所になってくれたらうれしいですね。
ATSUSHI:今年はもっと増えるんじゃないですか? 街からごそっと来るっていうのが。そういう気がします。いいですよね。1年に1回、みんなに会えるっていう。
———2回目はさらに輪が広がったガマロックでしたが、1回目と比べてどうでした?
(ATSUSHIの携帯の着信音がピコーンと鳴る)
一同:笑
ATSUSHI:この携帯が答えたいって(笑)。
平間:まあ、最初のガマロックの趣旨からブレずにできなたっていうのはまずある。震災から始まって、ガマロックが立ち上がり、最初から自分たちがやりたいことが2回目になってもブレずにできたなっていうのは第一印象かな。
ATSUSHI:ガマロック2012をやったことによって、みんなにガマロックがどういうものかがわかってもらえたと思うので、それで2回目にちゃんとブレずにできたというのはいいんじゃないかな。やっぱり1回目は、平間さんのなかでのガマロックという像ができていたからやったんだけれど、1回やることによってそのガマロック像をみんなと共有したわけじゃないですか。その共有したガマロック像をまた2回目でみんなで作れたのは大きいと思う。2回目は泣くつもりはなかったんだんですけどねぇ……。アトラクションを2回目もやっちゃいましたね(笑)。
一同:笑
———平間さんの分もいろいろ背負っていたと思うので。
平間:ちょっとね、当日は会場にいたんだけど、あまり体調がよくなくて最初と最後のスピーチをATSUSHIに任せっぱなしになって……。俺の分も泣いてくれたんだと。
ATSUSHI:うーん、ちょっとね、男泣きしちゃったね。もう、アトラクションだよね、あれは(笑)。今年のあのアトラクション見た?ってね(笑)。
平間:号泣アトラクション(笑)。
———たくさんの来場者を迎え、より親密になりましたね。
平間:そうだね。チケットがソールドアウトしたっていうのもとても大きくて。ブレずにできたことと、ソールドアウトしたっていうこと。そして、ATSUSHIが言ったように、自分たちがやりたかったことが伝わったのかなというのは大きかったかな。
———2回目のガマロックでは、塩竈だけじゃなく塩竈地区の2市3町との繋がりも見えましたね。ガマスポーツ、オーディションの開催など。1年目からさらにもう一歩進んだガマロックになったと思うんですね。
ATSUSHI:そうですね。
平間:オーディションで受かったGAMISMは、前から仲間だったような気がするアーティストだったよね。
ATSUSHI:告知も頑張っていましたしね。
平間:そういう出会いもうれしいよね。今年もオーディションをやるので、また新たな仲間がそこで増えるといいよね。
ATSUSHI:GAMISMはもう一度オーディションに出てくんのかなぁ?しつこく出てくるのかなぁ(笑)。
平間:じゃあ、ガマロックオーディションは何度参加してもいいってことにしよう(笑)。
———そう、ファンの方だと思うんですけど、Twitterで「今年もGAMISMの出演をお願いします!」というリプライがあったりとか。
平間:ファンも熱いよね。GAMISMは。まぁ、「GAMAISM」に改名したら出そうかな(笑)。
ATSUSHI:そうですね(笑)。でも、本当に改名しても出さないっていう(笑)。
———あはは! そんなGAMISMも含めた塩竈ブロックが、タイムテーブルにありましたね。大友康平さん、山寺宏一さん&小柴大造さん、おひつじ座流星群、BRIGHT KIDS、塩竈の踊り手たちのバランスもよかったです。
平間:塩竈ブロックは濃くなりがちだよね(笑)。
ATSUSHI:濃い〜感じですね。今年は、チープ・パープル出てこないかな〜。
一同:笑
ATSUSHI:塩竈ブロックにねぇ。
平間:フェスの前半は塩竈ブロックという流れが確立しかけているよね。
ATSUSHI:ガマロックを2回やって、いろんなことがハッキリしたんじゃないかな。共通意識で、「ここは塩竈ブロックなのね」みたいな。開会とともにBRIGHT KIDSが出てとか。で、最後は最後でセッションでしょ、とか。2年連続で来てくれた人は共通意識がもててきたんじゃないかと思うけど。
平間:あとね、2回目でソールドアウトして、とてもよかった部分もあるんだけど……。ソールドアウトしたんだけど、実は赤字ということが最近判明して……。
ATSUSHI:まさかの赤字(笑)。
平間:今年はその辺が赤字にならないようにということで、チケット代を上げさせていただくことになりました。
一同:……すみません! ご了承ください!!
平間:でも、きっと安いよね。フェスとして考えたら。
ATSUSHI:続けていくためにということですね。そこは申し訳ないですが……。
———飲食の方は昼過ぎぐらいに完売した品が多かったとか。ガマロックラベルの日本酒もお昼には完売したことはうれしいことではありますが……。それぞれ課題がありますね。
平間:まさか2回目でチケットがソールドアウトするとは思わなかったんで、ちょっと、トイレとかもっとね……。
ATSUSHI:出た。トイレ問題!
———来場者のみなさま、すみませんでした。Twitterでもトイレ問題は上がっていましたね。
ATSUSHI:でも、トイレ対応にはちゃんと一人いるんで(笑)。
一同:笑
ATSUSHI:それぞれ役割分担があっていいんじゃないですかね。準備段階からいって、いろんなことがみんなできてたもんね。塩竈のみんなが。相当準備を進めていたから大きかったと思うけど。
———あうんの呼吸があったかなと思いますね。2年目ガマロックの前に「塩竈浦戸のりフェスティバル」もありましたし。ガマロックのクルーと同じ顔ぶれだったりしたので、そこの繋がりの深さを感じました。
ATSUSHI:役割分担がはっきりしたことが大きいよね。自分が何をやるべきかをみんなはわかったと思うし、こうやってやっていくんだというのがわかったと思うから。その役割分担のまま続けていければいいと思うし、出演者もそうなんじゃない? 1回目の出演者も多かったからさ。「ガマロックってこんな感じでしょ!」って。だから、出演者の会場入りが遅れて予定していたタイムテーブルがなくなっても役割分担で出ていくわけじゃん。その感じがすごくよかったなと思うんだけど。
平間:あとね、被災した所、いわゆる被災地ということになるんだけど、いろんなこういうイベントとかあるなかで、ガマロックのすごいところっていうのは、塩竈チームと東京チームによるスタッフのバランスがすごくいいと思うんだよね。双方のチームのできることっていうのが、すごく絶妙なバランスにあるんだなっていう。
ATSUSHI:すごい土台ができたと思いますよ。塩竈に。もう、だいぶいろんなのが来ても受け入れそうだよね。あのチームは。
———その結束力は頼もしいところがありました。
平間:これはね、やっぱり「塩竈愛」だと思うんだよね。みんな塩竈愛があるから、きっと自然にそうなったんじゃないかな。
———そして来場者の方たちを見ていると、あたたかい人ばかりだなと思いますね。開場して人が入ってくると、どんどんあたたかい雰囲気になって。聞いた話なんですが、小さなお子さんをお連れになったお客さまが芝生の客席でおむつを替えても、他のお客さまは嫌な顔をせずにあたたかい感じで見守っていたと聞きました。前にATSUSHIさんが「共存」という言葉を口にしていたと思うんですけど、そのとおりだと思いました。
ATSUSHI:それはいろんな感謝があってなんだけど、みんなの力でつくっているものだから、みんなが共存できる場をね。
平間:やっぱりスタッフがそういう気持ちでいたから、お客さんもそういう気持ちになれたんじゃないかな。
ATSUSHI:いいと思います。あのほっこり空間。ほっこり公園。
———今年になってまだ行っていいなですが。早く行きたいなあと思いますね。
ATSUSHI:いろんな人が行っているらしくて。人気が出てきたらしいよ(笑)。
———ひっそりとした穴場だったのに(笑)。
平間:ほとんど人がいなかったし、犬の散歩をしているぐらいだったかな。
ATSUSHI:今年はもっとね、より一つの輪を作るためにいろいろ考えていますので。
———今言えることはありますか。
ATSUSHI:ステージをちょっと下げて。もうちょっと一つの輪を作るっていうふうにもっていこうかなと。
平間:気持ちは十分輪になっているもんね。
ATSUSHI:そうなんだよね。もうちょっとそのへんをできるといいなと。
———みんなで集まったときも言っていましたよね。そうそう、今年も「WILDERNESS STAGE」があるんでしょうか。
平間:あのステージは植物を使った空間づくりを手がける涼仙さんが作ったんだけど、すばらしかったよね。
———すばらしかったですね〜。2012年のマリンゲート塩釜に飾られた木っ端ツリーも涼仙さんが関わっていたりと。
平間:毎回本当にすばらしい。
ATSUSHI:自然とも共存していて。
平間:ちょうど、WILDERNESS STAGEって会場の端っこのほうにあって、その後が山になっていて。山と人を繋ぐようなステージで、すごく大好き。
ATSUSHI:涼仙の井上さんも熱い人ですよね。車で寝泊まりしながら作業してくれたわけだから。本当に感謝ですね。
———あのステージの木材は涼仙さんの所有する森(埼玉県)から木を切り出して持ってきたそうで。
平間:運ばれた木材はすごく大きかったし、重いよね。
ATSUSHI:今年はさまざまなクルー陣との対談のページを作ろうと思ってて。みんなで集まって話してもおもしろいかなと思って。それぞれの視点で語るガマロックみたいな感じで。
平間:たぶんみんな自分のなかでのガマロックがあるから、そういうのも聞きたいよね。
ATSUSHI:ガマロックのいいところってそこなんだよね。主催者として平間さんと俺がいて、そこには確固たるガマロック像があるわけなんだけど、みんなにとっても各自のガマロック像があって、それがいいんだよね。「こうじゃなきゃいけない」というのが基本的にないから。だから各自が自分のガマロック像をふくらませて楽しんでいるのがいいんじゃないかな。
平間:なんかね、9月20日のガマロックに向けてみんなイメトレしている印象があるんだよね。
ATSUSHI:みんなにとって糧になっているのが一番うれしい。ガマロックが目標になっていたりとか、生きる糧と言うと大げさになってしまうけど、みんなにとって1年の目標になっているのが一番うれしいかな。「今年もガマロックがあるから頑張ろうぜー!」ってね。
———「今年もガマロックがあるから頑張ろうぜー!」って思ってもらえていること。9月20日の開催を発表した3月11日もたくさんの反響がありましたし、みんな待ち遠しく思ってくれているんだなと実感しました。
ATSUSHI:その発表があった午前0時に塩竈にいたんだけど、塩竈のガマロックチームと一緒に過ごしてて、なんかよかった。「あー、発表になって、ここから始まるのか」と。
平間:俺はいられなかったけど、大晦日みたいな感じかなーっていうのが塩竈から伝わってきた。
ATSUSHI:そうそう! さぁ、今年も始まるぞ、と。表現の仕方が難しいけど、3月11日が辛い思い出となるほうが多かったりするじゃない。その日がちょっとずつ方向転換じゃないけど、そうなっていってもいいなと思う。
平間:一番悲しく、でも一番うれしい日になれたらいいよね、3月11日が。
ATSUSHI:不思議な感じだった。3月10日には帆手祭で鹽竈神社に行って……。
平間:そうだよね、震災の前日が帆手祭で。その流れがすごいよね。特別な意味を感じるよね。
ATSUSHI:もともと塩竈を拠点にしてやってきているなかで、もちろん塩竈のためにというのはずっと変わらないことなんだけど、「塩竈のため=東北のため」ということでもあるから、もっとその意味を込めていきたいなと今年は思っているかな。だいぶ基盤が作られたと思うし。
平間:例えばガマロックのスタッフが石巻に行ったりとか、岩手の大船渡、大槌に行ったりとか、そういうのが少しずつ自然に広がってきている感じがあるから、なんかうれしいよね。自分たちがやってきたことが広がりつつある感じ。
ATSUSHI:今年のガマロックはそういう意味で広がっていくんじゃないかな。無理矢理繋がっていくのではなく、自然に繋がっていった仲間たちだったら話が早いっていう。思っていることは一緒なんだし。
平間:七ヶ浜もそうだよね。そういう意味では。
ATSUSHI:七ヶ浜のみんなも協力してくれて本当に感謝だと思う。
平間:ATSUSHIがやるPOWER of LIFEとか、塩竈浦戸のりフェスティバルとか、塩竈でのイベントがうまくガマロックに繋がっている気がするね。
ATSUSHI:その流れがある程度できたということ。3月11日にはPOWER of LIFE、5、6月にのりフェスがあって、9月にガマロックがある。隔年ではフォトフェスがあって。みんなでその流れを作れたのは大きいんじゃないかな。
———宮城県内から来る方もたくさんいると思いますけど、県外からもたくさんいて、塩竈を楽しんでくれていたり、ガマロックを楽しむことで、また塩竈に来たいなって思ってくれる人がいて、それって大きいなと思うんですよね。
平間:本当に大きいよね。昨年の細美くんのMCじゃないけど、「来年もし出演できなくても焼きそば屋でもやるよ」みたいな感じで言ってくれたりとか。そう言ってくれているのがとってもうれしいよね。
———そうですね。このインタビューの前日に坂本美雨さんがTwitterで……。
平間:見た見た!「万が一歌わなくても行きます!」って。
一同:笑
ATSUSHI:最高だね。
———アーティストにとっても特別なものなんだろうなって思いますよね。
ATSUSHI:みんなが集まる場所なんじゃないかな。そういう場が作れたことはうれしいし、ずっとその場所を守り続けていきたいとは思う。
———そういえば昨年のガマロックで初めて「ガマロックフラッグ」を作りましたが、たくさんの方々の協力を得て繋がれたフラッグが今年はどんなふうになるのか……。
ATSUSHI:昨年は市内の小学校や東北生活文化大学の方たちにオフィシャルでやってもらいましたが、今年は七ヶ浜の子どもたちにも声をかけてみようかと。いろんなところでみんなで作って増やしていこうっていうのはいいなーと。
———前日に設置したとき、自分が作ったフラッグを探しに来た子もいたとか。うれしいですね。
平間:何年で、本塩釜駅と会場を結べるまでになるか。楽しみだね。
———昨年の時点で、会場から合同庁舎ぐらいまで(200〜300mぐらい)でしたよね。
平間:そうだね、合同庁舎までだったね。合同庁舎というと、だいぶマニアックなランドマークだけど(笑)。あと、会場の入り口に飾ってあった、古紙を使ってコラージュした「OSAKANA」もよかったよね。
ATSUSHI:あと昨年は飾っていなかった看板は復活するんじゃないかな。あれはシンボリックな看板だよね。
平間:アスカオリが制作したんだけど、昨年は忙しかったらしくて。
ATSUSHI:あれは毎年の定番にしたいですね。
平間:公園に入ってすぐの石の横に置いてね。
———初めて見たときに、何でできているかわからなかったんですけど、実は発泡スチロールとPPバンドという梱包材でできているらしくて。あそこでみなさん、写真を撮っていましたよね。
ATSUSHI:2回やっていろいろわかったことも多いから、基本は継続してどんどん繋いでいきたいし、同じ物を使いながらプラスして。物を変えるというより、プラスしていくという発想でやっていきたいかなと思っています。やっぱり看板がないとしっくりこないなとか(笑)。
———そうですね。そしてワークショップも大盛況で、お子さんから大人まで楽しんでもらえましたよね。
ATSUSHI:タイムテーブル制にしてよかったよね。
平間:ワークショップの開催でいろんな人が関わったり、知り合いができたじゃない。時間制にすることによって、それもよかったんじゃないかな。
ATSUSHI:それらをマップにして配ったのもよかったよね。
———ワークショップのキャンドルもすごくよかったですよね。日が暮れるころにステージ下に灯されて。
ATSUSHI:キャンドルの飾り方にしていえば、WILDERNESS STAGEに全部飾っちゃえばいいかも。
平間:そのほうがいいね。
ATSUSHI:全部飾った後に照明を落として。最後はWILDERNESS STAGEに飾ったキャンドルを各自が持ち帰るかたちで。
———2012年のクリスマスイブに、六本木ヒルズアリーナで開催されたPOWER of LIFEのイベントで、たくさんのキャンドルが最後に灯されてすごくきれいでしたね。
ATSUSHI:キャンドル・ジュンくんのね。
平間:炊き出しとライブを行った2011年4月17日も、そのキャンドルから始まったからね。
———奇跡的に灯ったんですよね。
平間:そうそう。キャンドル・ジュンさんは、震災後、被災地のなかでは塩竈で初めて火を灯せた。やっぱりあの日は大きいよね。あれが原点で、そのまま規模を大きくしたのがガマロック。
ATSUSHI:ガマロックで作ったみんなのキャンドルを灯すことに意味があるんじゃないかなと思うし、それがいろんなところへ、何かしらに届いてくれればうれしいですよね。