対談

写真家 平間至 × 「ビルド・フルーガス」主宰 高田彩

東京を拠点として活動を続ける写真家・平間至と、
地元塩竈にアートギャラリーを構える高田彩。
ふたりの共通点は、現代に生きる「アート」。
GAMA ROCKを生み出すまでの構想、
そしてGAMA ROCKで体感できる多彩なアートイベントの魅力について迫る————————。

GAMA ROCKの構想は5年以上も前から始まっていた

平間:高田さんが「ビルド・スペース」を設立したのはいつだっけ?

高田:2006年ですね。1999年、JR塩竈駅近くに「ふれあい塩竈エスプ(以下エスプ)」ができてから、塩竈にアート系のイベントが少しずつ登場し始めたんだと思います。

平間:エスプができるまでは、それまで塩竈にはアートを楽しめる場所というものはほとんど存在していなかった。「エスプ」ができた初年度に初めて「平間至 写真展」を開いたんだけど、地元で個展を開いたのはそれが初めてだったんだよね。

高田:私その時まだ高校生だったんですけど、その展覧会行きましたよ!「あぁ塩竈にもこういう文化的な場所があるんだ」って、すごく感動しました。今地元を拠点にして活動をしている私にとって、何らかの鍵となった展覧会でしたね。

平間:その展覧会では、今まで東京で撮ってきた写真を展示したんだよね。その後は、塩竈の桜をテーマにしたり、塩竈在住の方を100人撮影したりして、少しずつ塩竈との関わり合いを増やしていった。最初は自分の表現を伝えたいという思いが強かったんだけど、だんだんと塩竈の人に喜んでもらいたいっていう気持ちに変わっていったんだよね。多分、そういった思いが最終的にGAMA ROCKっていう形になっているんだと思う。

高田:それこそ、GAMA ROCKの構想が生まれたきっかけは、「エスプ」の渡辺さんなんですよね。

平間:そうそう、実は「塩竈でフェスをやろう」という構想は、ずっと温められていたものだった。
エスプの初代館長であった渡辺誠一郎さんが、塩竈でアート活動をしている仲間を招集して「なんかアートフェスみたいなイベントをやりたいよね」って話を投げたのが始まりだったと思う。その時に僕は、音楽のフェスをやりたいって話したのを覚えてる。

高田:私も度々参加させて頂きましたが、「地元の塩竈でどんなフェスをしたいのか」、いろんなジャンルの方々が、それぞれ思い描いていることを話し合う機会が何度もありましたね。あ!そういえば、平間さんと一緒にフジロックにいったこともありましたね。ロックフェスを視察しよう的なノリでいったんでしたっけ?(笑)平間さんがこうして先のビジョンをずっと共有し続けてくださっていたんだと改めて思いますね。

平間:そうだね、行ったね、フジロック(笑)。GAMA ROCKという構想は、震災前からあったそれぞれの思いが形になったもの。さらにいえば、震災後の結束が後押しになった感じだよね。当初は、資金面や安全面など、いろいろと課題はあってなかなか実現に至らなかった。そして実施するには強い覚悟が必要だった。それらを乗り越えて開催に至ったから、思いはひとしおだよ。

東日本大震災での結束を経て

平間:震災は、塩竈に住んでいる人はもちろん、塩竈を故郷にする者にとっても、すごく大きな出来事だった。僕も、どうすれば塩竈や塩竈に住む人が元気になるのか、いろいろ考えて。そして、アートの無力さと大切さを実感したんだよね。

高田:そうですね、災害直後は水も電気もない食べる物も無い状態で、アートが与えられることは何もなかった。このスペースがヘドロまみれになったときは、アートのアイディアすら出なくなってしまった。震災のショックで自分の視点がすごく狭くなっていたんだと思います。生きる事に必死だったんですね。

平間:やはりそのときは僕も無力さを感じたね。何もできない自分にジレンマを感じた。でも、震災から7ヶ月経った2011年の10月、塩竈でフォトフェスティバルを開催したんだけど、この時にやっとアートの大切さを実感できて。みんなに「よくやってくれた」っていわれてすごく嬉しかった。衣食住が満たされるようになったときだからこそ、「写真の力」がみんなを元気にしてあげられたんだと思う。

昨年のGAMA ROCKを振り返って

高田:私たちは単にロックフェスをやりたかったんじゃなくて、音楽やアート、食など、みんなが塩竈から伝えたいことを表現する場としたかった。それがきちんと形にできて、来場者にもすごく満足して頂けたイベントでしたよね。

平間:音楽の質が高いことはもちろんだけど、あの空間も魅力なんだと思うよ。会場が「みなと公園」という塩竈でもマイナーな公園なんだけど、びっくりするぐらい落ち着く場所なんだよね。

高田:そうですよね、みんなでピクニックをするような居心地の良さがありますよね!規模的にちょうど良くて、音もきれいに響き渡って。会場には音楽がなくても成り立つような居心地の良さ。

平間:ステージは最高のライブサウンドを「オヤイデ電気」が協力してくれたんだよね。気持ちいいぐらい音が伸びて、歌う人も演奏する人も、そしてオーディエンスも気持ちよかったと思う。
ハウンドドッグの歌声は、海を越えて東塩竈のほうまで聞こえてたんだって。あの「フォルテッシモ」が海を越えた!

高田:アーティストとオーディエンスが一体感を味わえるイベントって、なかなかないですよね。あの規模だからできるんだと思います。

平間:あとね、前回すごくやってよかったって思うことのひとつに、若い人たちに対して、思いを形にする勇気を与えられたっていうのがあるんだよね。思いがあるのに行動ができなかった人たちが、行動して結果がだせるようになった。それがすごく嬉しいな。

イベントをさらに楽しませるアートイベントの魅力

高田:アートブースに出展する若者は、この地で生きることの豊かさや楽しみ方を表現する場をつくっています。豊かな発想や創造力をもった地域で生きる若者たちが、それをGAMA ROCKで共有し、より心の豊かさや塩竈の魅力を、GAMA ROCKに集う人びとと分かち合えたら嬉しいです。
ここで生きる人びとの力を発揮させることがGAMA ROCKらしさだとしたら、アートブースでは、こどもから大人まで、それぞれの感性を引き出す場にしたいと考えています。

平間:今回もいろいろなアートイベントがあるんだよね?

高田:そうですね、まず会場で1日楽しく過ごしてもらうことを前提で、8種類のワークショップを考えています。「変身お面で記念写真!」や被り物を作る「モンスターをつくろう!」、変身めがねを作って遊べる「めがねワークショップ」、GAMA ROCKロゴプレートが付いたシュシュリストバンドをつくる「shimaumafiveのシュシュリストバンドワークショップ」など、フェスで身につけられるアイテムやフェス自体を盛り上げるもの、また参加者が楽しく過ごせるためのものを用意しました。

平間:おもしろい写真が撮れる「ロモグラフィー」のフィルムカメラを使ったワークショップもあるよね。写真が好きな人はきっと楽しいと思うよ。

高田:そうですね、あと写真といえば今年もタワレコとコラボのガマロックポスターもやりますよ!すごい競争率ですからね、あれ(笑)。

平間:1時間前から並ばないと撮れなかったんでしょ?(笑)

高田:あと、前回スノードームのような体験型オブジェを出展された後藤朋美さんとビルド・フルーガスのコラボレーションとして「シャボン玉プロジェクト in GAMA ROCK 〜ここにあるふるさと〜」を実施します。「シャボン玉とんだ、屋根までとんだ〜」と童謡にもあるように、シャボン玉が飛んでいる光景は、私たちの記憶に親しみがあると思うんです。今回、屋根よりももっと高く故郷の空に飛ばそうと、木製の小さな家からシャボン玉を飛ばします。個々がもつ「懐かしい記憶の中のふるさと」を会場内で表現できればと、また記憶に残る光景をつくりだせればと考えています。

平間:思いや心の情景をオブジェクトにする取り組みは、昨年に引き続いてのプロジェクト。心地よい音楽と一緒に、心に残る光景が表現できればいいね。あとは、会場にはいくつかアート作品もあるんだよね?

高田:そうですね、多賀城在住で塩竈にアトリエを持っている彫刻家・佐野美里さんの作品にも注目してもらいたいです。あと、今回は東北生活文化大学の学生さんと市民の方の協力をいただき、GAMA ROCKフラッグというものを作っています。来場者に向けて「ようこそGAMA ROCKへ」というおもてなしの心を、市民参加型で表現出来ればと、GAMA ROCK会場までの300mを約4000枚ものフラッグが並ぶ予定です。また、GAMA ROCKはみんなで作り上げているという意識が強いこともあるので、気軽にGAMA ROCKに関われる場として、フラッグづくりを考えています。GAMA ROCKが二市三町町(塩竈市・多賀城市・松島町・七ヶ浜町・利府町)で頑張っているアーティストの表現の場になってくれたらと思いますね。参加者や来場者にとって、独自の価値観や誇りを再確認したり、また育んでいく場として、アートが役立てればと考えています。

平間:昔から、塩竈はいろいろな異文化が入り交じってきた場所。フェスでの音楽やアートを通じて、いろんな思いや価値観が共有できたらいいよね。

GAMA ROCKからの思い

平間:震災によって大きな悲しみが2つあると思っていて。それは、大切な命を失われたことと、大切な居場所を失ってしまったこと。GAMA ROCKという空間で、塩竈のみんなが安心して笑顔になれる場所をつくりたいということが、大きなテーマでもある。たった1日のイベントなんだけど、その1日だけでも日常から離れて楽しく過ごして、みんなが元気になってくれたらって願います。

高田:そうですね。震災をきっかけに独自の価値観が生まれて、新しい塩竈が生み出されてきた。GAMA ROCKでは、地域の人とつながりあって、いろいろな価値観をたくさんの人と共有していける場であって欲しいですね。子どもからおばあちゃんまで心地よく過ごしている情景が、アフター3.11の在るべき姿というか。地域が一体となっている感じがして、希望を感じます。

平間:実行委員会のスタッフはもちろん、地域の企業や商店、市民のボランティアの方々や役所の方まで。塩竈のみんながそれぞれ頑張って、イベントを盛り上げている。塩竈が好きだっていう思いが根底にあるんだよね。

高田:毎年3月に開催される鹽竈神社帆手祭(ほてまつり)って、市内が大火にまみれた時にその火伏として始まった祭りですよね。同じように、震災後に生まれたGAMA ROCKも祭りに近い由来があると思います。人々の癒しや地域の精神性が備わっていて。そういう意味でも、このフェスは次世代に引き継いでいきたいですよね。

平間:そうだね。大きな夢や希望を描くのは俺だったりATSUSHIだったりするんだけど、こうして地元でしっかり動いてくれるスタッフがいてこそ、フェスの実行が成り立っている。お互いに塩竈への思いがしっかり共有されているからだと、常々思うよ。そしてみんなで震災を生き抜いた。助け合ったっていう日々があるからだと思う。

高田:モチベーションやユーススピリットがないと人は動かない。GAMA ROCKのリーダーの2人が、魅力的なものをもってきてくれる。だから良い現場が生まれるんだと思います。

平間:そういう意味でバランスがいいのかな。震災後、全く先が見えない不安な状況の中で、生の声や生の楽器を通して被災地の人々の心に灯りを灯したこと。その時、そこで与えることができた音楽やアートの力を信じて、これからも塩竈から発信し続けていきたいね。

PROFILE

高田 彩(たかだ あや)

ビルド・フルーガス 主宰

1980年 宮城県塩竈出身。
北米アートの紹介やアーティストネットワーキングのビルド・フルーガス代表、
2006年宮城県塩釜にbirdo spaceをオープンする。

〒985-0016 宮城県塩釜市港町2-3-11

ビルド・フルーガス http://www.birdoflugas.com/

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